いと思われることだ

ある人と話していた。
30年来の知り合い。
「今はもう別に何がしたいというものはない」と、わたしが言った。
すると、その人は言った。
「もう、やりたいことはやったからでしょう?」
なるほど。
その通り。
かと言って、今はやる気がなく生きた屍というわけではなく、十分満足しているのだ抖音電商
あとはそのまま、すーーっとニコニコして生きていけたらいい。
わたしはまだまだ平均寿命より20歳も若いのに、皆さんには活力がないと思われることだろう。
だが、満足していたら、別に活力がなくてもいいと思う。
イキイキ、やたら元気に張り切って頑張らないといなければならないのか?
誰のために?
愛する家族たちはいて、こころの拠り所にしているが、今は見守るスタンスで関わっている。
いずれ、見守られる時期が来る相機鏡頭


頑張らない、頑張れない自分がそれで良ければ良いのでは?
活発な毎日を期待されるとすると、誰に期待されるのだろう?
静かに安らいで生活しているのは、わたしの年齢では理想的模範的ではないのかも知れない。
模範って、誰のために?
自分で勝手に理想像を作り上げて、へんに抵抗している。
迷惑をかけなければ、自分の満足いくようなスタンスで生きたい。
自分の理想像そのものが変化しているのだろう。
出力を減少、下げて行きたい。
世間(メディア)では、下げるな下げるなと圧をかけてくる(ように感じる)。


暗いニュースや災害特集が続く。
一瞬で積み上げてきたものが失われた絶望感、喪失感、虚無感は想像を絶する。


今日は朝から寒い雨。
食欲がないのと同様に、書きたくなる気力というものも、わたしの心身健康のバロメーターのようだ。
どんな状況であれ、生きていかなければならない。
また時間が変われば気も晴れる。気が変わる。


暗いブログ記事はアップしない方針の人もいる。
元気な時の自分しか表に出さないようだ電動牙刷推薦
読む人に与えるものを想像する、忖度。
マイナスの自分は出さない。
ゴミを散らかしては迷惑。
それもまたその人のスタンス。
人の数だけ考え方、感じ方がある。

が今でも蘇ることがあり

とんがったりしてるのは、ある意味、切れ味が楽しめて気持ちいい。
へんに丸くなったり、人が出来てくる(人格が整ってくる)と、信頼されたり、安心はするものの、規格外、予想外のことをしなくなるので、面白くない、ツマラナイ。
荒削りなエッジが、切れ味よく刺激になる、そういう感覚、感触が鈍化する激光脫毛副作用
その代わりに、ピースフルでマイルドになる。
両方は、逆ベクトルなので両立、同時存在は難しい。
わたしは、どちらかというと、なんでも両極端あり、真ん中のところに自分で意図的に来て、どうにか均衡を保っている。
平均値は中央値。
2つの両極端を足して2で割っているだけ。


「練習」では両極端を、常に一定にすることを目指す。
が、なかなか、混ざらない。
すごく良いか、すごく悪いか、にしかならない。
あとは、まあまあこんかもんかな、という妥協レベル。
自分と向き合って、かれこれ65年は経つthermage 效果
(年齢➖2歳)
3つ子の魂、百まで、で、3歳の時の記憶もある。
幼児の頃、大惨事に見舞われトラウマが生じた人もいるだろう。
たまたまそういう不幸な出来事には遭遇しなかったものの、幼い時の自分の行動や発言が今でも蘇ることがあり、冷や汗が出る。
子供のすることだから、周りはそういう目で見てくれたことだろうけれど、今、思えばやはりとても恥ずかしい。


今の子供はお利口だし、口のきき方もスマートだ。
わたしが子供の頃は、教えられていないこともあり、自分に自覚がなく知らないにせよ、ひどい。
両親は仕事に忙しく、子育てどころではなかった。
たまに接する夕食の時間は、父の躾が厳しかった。
特に品のない言動は嗜められた。
母が万年未成年・大らか健康優良児だったため、父が躾には口を出していた。
とてもうるさい人物ではあったが、わたしは、父を尊敬していた。
父の血を受け継いだら良かったのだが、哀しいかな母のほうに似ているような気がする。
これは、DNAではなく、環境かも知れない。
おなじ両親から生まれ育った、兄や姉とは、わたしは少し違うMedilase
が、どちらかというと、わたしは兄寄りだろう。
世間から遠いタイプ。


わたしは、兄が18歳の時までしか一緒に暮らさなかった。
わたしはまだ中学生。
知っているのは、兄の高校卒業まで。
姉とは女同士、歳も2歳しか離れていないので距離が近く、お互い、結婚して家を出てからも、やり取りはずっとある。
姉のことは、スーパー(ウー)マンだとわたしは思っている。
父はよく姉のことを「女性にしておくにはもったいない。男だったらどんなに良かったか」と嘆いていた。
姉は、なかなか能力のある人物である。
同じ両親から生まれ育ったのに、なぜ、こんなに違うのか。
神様のイタズラに他ならない。

老老介護はもっと大

ちなみに、この季節、年賀状自体の喪中ハガキが次々来る。
まあ皆さん、ハガキのお父さん、お母さん、ご長寿で、天寿を全うされている。
80代は若い、90代中頃が多く、100歳を超えて亡くなる方も少なくない。
と、毎年そう思っているが、年々強く思うようになった牙齒美白
少子高齢化社会なんだと実感する。
我々高齢者は、まだ更に高齢の親の世話をしなければならない。
親子で一世代違うならまだしも、同世代の超高齢配偶者を介護する老老介護はもっと大変だ。


話は変わるが。
人間の苦には、病、貧困、戦争、災害の他に、老というのもある。
が、長生きすると皆、老いるわけで、それは避けられない「苦」の中に入るのか???


先週金曜日、NHK TV番組「アナザーストーリー」で豊田商事を取り扱っていた。
わたしの世代でもある会長(故人)。
暗い沼に入り込んだ気分になった去眼紋
宗教もそうだ。
弱い人のこころの隙に付け入る。


小2男児が、こっぴどく大人に叱られたとしても、環境的に普通の明るい温かい家庭に育っているなら、別に日常の一コマの断片だが、
親が離婚して親戚の家に預けられていたとしたら、しかも経済的に援助もなく、親戚も苦しい状態だとしたら、空気感も違ってくるだろう。
昔と今では価値観も変わり、時代の色も加味される。
だが、愛情や余裕があるのと、ないのとでは、雲泥の差である。
逃げ場があるか、ないか。
追い詰められるのは良くない。


本人の資質にもよるだろうが、犯罪に手を染める人はある程度の共通点がある。
同情の余地がある不幸な環境、背景。
犯罪者と、普通の家庭を同じ土俵で論じるのはお門違いではあるが、一歩、間違えると両者は背中合わせに接している。
いつ、ひょんなことで、幸せが不幸にどんでん返しになるか、可能性はゼロではない。
運、不運もあるだろう。
しかしながら、、、番組「アナザーストーリー」を見ていると気分が暗く落ち込む。


ごくごくどこにでもある普通の幸せが、壊れていくのは恐怖だ。
宗教にすがりつきたくなるのも、わからないでもないmyob 課程
が、、、。


筆が、どんどん暗い方向に進んでいる。
別の違う方向に転換したい。
筆は気ままで好き勝手に進み、わたしを困らせる。