な特別な頂点に立っている

わたしはプライドが高いとは自覚しているものの、目的のためにはプライドはドブに捨てる。
プライドなど全く生まれた時からなかったかのように。
自分のこころを押し殺し、押し潰して、代わりに目的を手に入れる激光脫面毛
悪魔に魂を売る。
安いよ安いよー。お買い得ですよー。


目的を手に入れるためには、プライドは邪魔になる。
目的を手に入れたら、ドブに捨てていたプライドを拾いあげる。
泥にまみれたプライドかと言えば、そんなことはない。
ドブとは演出上の言葉のアヤで、後で元に戻すことを想定して、実は神棚に載せて汚れないようキレイに退けておく。
あるいは、銀行の金庫みたいな、水害や火事、地震などあらゆる災害から守ることが出来る、シェルターに保管しておく。
戦時中の学童疎開みたいなものか膠原蛋白功效


目的が達成された暁には、プライドをまた取りに行き、お持ち帰りする。
点検した上で、さらに、きゅきゅっと柔らかな布でメンテナンスし、一時的避難お疲れ様、と愛おしく大切に美しく磨き上げる。
プライドと目的を同時進行、掛け算してパワーアップ出来れば理想だが、わたしの場合、逆ベクトル方向にあるようで、目的を達成するためにはプライドが邪魔になる。
足を引っ張る。
プライドをかなぐり捨てなければ、プライドを保てない。
プライドだけあっても、空腹は満たされない。
難儀ではあるが、そうやって今日までプライドを維持してきた。


誰にもプライドはある。
プライドのない人は悲惨だ。
ある種の病理である。
こころを病んでいると思う。
プライドが持てるよう、(社会も含め)周りが支援すべき。


そこまで深刻な事態でない、通常範囲の生活では、まあ普通に皆さん、プライドがあるはず。
腐っても鯛。
腐らなくてもイワシは、それはそれで良い。


だけど、プライドって何前列腺超聲波
自分らしさ?
日本語でいうと、誇り。自負?
こころの核、芯のようなもの。
自信とプライドには、根拠は要らないそうだ。
そのほうが、世の中、明るくてよい。
が、出し方に注意しないと臭う場合がある。
プライドばかり高くて実際が追いついていないことがある。
それに対して、オリンピック選手のように血に汗滲む、才能プラス努力プラス強いこころが、周りから目に見えてわかるような特別な頂点に立っている人は、自分を追い込む気迫を感じる。
期待を背負い、結果を公に目の前で出すのは猛烈なプレッシャーだと感じる。


プライドとは、、、理想の自分かも知れない。
理想を形作るもの。
理想に向かって目標を定め、コースを走ったり歩いたりする。
わたしはもう歳なんだし、プライドをかなぐり捨ててまで目標に無理やり近づかなくても良いと思うのだが、自分の能力が欠如している分を補充するため、プライドを切り売りしてマイナスや綻びを埋める。
プライドは万能薬。
何にでも効く。
なくなればまた、一旦預けている神棚か金庫に取りに行けばよい。
お取り置きしているはずのプライドが、ある日、取りに行ったらカラスに荒らされて何もなかった、なんてこともあるかも知れない。
その時は、プライド無しコースに変更し、ハイブリッド車みたいに、切り替えて走行しようか。
船で言えば帆船か。
風の力で進む。
嵐の時はどうする?
転覆して漂流して、無人島に辿り着くか、どこかの船に救助される。
それでもいいかも知れない。
けど、実際の嵐、怖いですー。
陸路でもホワイトアウトとか、ものすごく恐怖。



昨夜、書き始めて、あまりにもつまらない面白くない記事だったので、ボツにしていたが、続きを今朝、書いた。
昨夜よりはマシ。
わたしの場合、一晩寝ると、目減りしていたプライドが自動的に自然補充されるメカニズム、システムのようだ。
燃料は睡眠。
安上がりだ。

たりするのはバカバカし

あれからしばらく未公開記事をいくつか抱えている。
自意識過剰も甚だしい。
自意識過剰とは、、、「勘違い」「こだわり」「自分流美学」でもある。
気に入らない作品はガシャーンと叩き割って壊す、陶芸家のごとく醫學美容
(ちょっと欠けたりヒビが入った食器でも使っているわたしだが、、、最近は、口をつけるグラスなどは唇を切ったり指を切ったりするのはバカバカしいので、危なっかしいものは捨てる)


世界中の誰もが共鳴、賛同してくれなくても、存在を知られなくても、自分一人が洞窟の中で仏像を彫っていればそれでよし。
が、一人や二人、洞窟仲間がいるのも楽しいと思う。
洞窟アパートみたいなのがあって、一人一人が洞窟タイプの個別の部屋で仏像を彫っている。
何年かに一度、仏像展覧会があって、即売会も兼ねていたりしてthermage 效果
誰が買うの?
みんな自分で自分の仏像を彫っているから、人の仏像は欲しくない。
が、人の作品からヒントやインスピレーション、影響を受けるかも知れない。
自分の発想にはない着眼点がある。
これ、同人誌や、趣味、同志の会、ファンの集いに似ている?


精度、完成度、芸術性が高まると、バイヤーが現れるかも知れない。
あるいは、個展を開いたり、何度も入展するとスポンサーが現れたり。
権威ある日展とか。


芸術で身を立てるのは身を削る。
学校の音楽の先生や、美術の先生は、両方バランス良くやっている。
バランスが良いって、いろんな見方ができる。
市民生活も楽しいと思う。
わたしは芸術家ではないので。


生産性という側面で価値を察ると、ほとんどのことは、生産性がないとみなされる。
生産はモノだけではない。
大量生産、大量消費の時代は終わった。
余計なモノを作らない努力が必要か緊致肌膚


抽象的なことばかり書いている。
だってわたしにとって、「抽象」はラクだから。
のらりくらり逃げられる。
現実からの逃避。脳のお散歩。
他人の各自の抽象を突き詰めることは出来ない。
が、哲学的には出来るらしいが、辛気臭く面倒。
わたしは、すぐ眠くなる。

努力をしているのに

なんだかお疲れ気味。
楽しい行事、スケジュール目白押しなのに。
体調は管理できても、気分はなかなか言うことを聞いてくれないMedilase
難儀。
こんなに自分の感情をコントロールする努力をしているのに。
わたしは天然だから、プラスもマイナスも自然体なのか、、、


今、気になっているタスクが2つあって、ずしんと頭に重く乗っている。
はやくクリアしないと、憂鬱気分が続くではないか。
本格的に梅雨入りするまでにどうにかしないと。


と言いつつ、子供たち一家や、夫は、病気にもならず、毎日、仕事や学校、保育所に通い、心身健康で有り難く幸せである。
朝はわたしの気分がほんの少し下がったが、それはブログの書き始めの時だけで、すぐ回復した。
ああ、良かった按摩機推薦


昨日、今日と2部制スケジュール構成で、楽しい時間を過ごした。
アドレナリン出っ放しである。


ちなみに、最近、他のgooユーザーさんのブログを読むことがある。
アピールチャンスで自薦、紹介されているブログ記事で、なんとなく興味を引かれた記事を読む。


今朝、読んだブログは、わたしと同世代の男性ブロガーさんが書く、ご夫婦と、長男さん一家(夫婦+子供二人)と、次男さん一家(夫婦+子供は二人)で、親御さんが入所している施設にお見舞いに行く話だとか、GWに、交代で息子さん一家が実家に帰省して泊まる話などが書かれていた。
ここで、キーとなるのは、ブロガーさんは、男性ということ。
微笑ましい話だったが、息子一家のお泊まりはかなりデリケートで、奥さんたち(自分の妻と息子の妻。嫁姑の関係)はとても疲れる。
そのあたり、じいちゃんは気楽でいいなあと思った。
妻たちは、お泊まりなどとは、、、めちゃくちゃバテていると想像する。
おそらく、奥さんの心情を推測る息子さんであれば、気が気ではないと思う移民加拿大方法


そういうことに無頓着、無神経な男性はお気楽でいいなあ、と。
女性間の感覚を理解できないと思う。
自分のケースに置き換えて感情移入すると、むしろ腹立たしくなってくる。


我が家の場合、次女の夫(娘婿A)がうちに泊まるのも、お互い気を使うので、娘婿Aは泊まらないで帰宅する。
(バス、徒歩を挟み、電車で2駅離れた場所)
土曜日の夕方に集まった場合、夜、娘婿Aを解放してあげると、日曜日、彼は一人でゆっくりできる。
日頃、子育てに追われる次女夫婦、一人の時間を作ってあげる次女の娘婿Aに対する気遣いでもあるようだ。
そして何よりもわたしも喜ぶ。